これから

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同じ景色を見ていても写生すると人によって異なる表現になるように

一つの解を導き出すのに複数の方法が存在するように

自分が見ている世界は自分の意識が作り出している

自分で選んでいる

ではなぜ

こんな閉塞感のある世界が目の前にあるのだろう

テレビが嘘を垂れ流し

政府が嘘を垂れ流し

専門家と称する方が嘘を垂れ流し

こんなに嘘にまみれた世界は

個人的な感想としてですが

初めて

なぜかしらと考えていました

意識が作り出していることに気づきなさいというメッセージととれば

そうとれるけれど

それだけでは物足りない感じ

そして

嘘に騙されている方を見るのがつらいと感じている方も多数見かけます

私もどちらかといえばそうです

なぜかしらと考えていました

そして最近気がついたこと

顕在意識レベルの嘘は潜在意識レベルの嘘にかなわないということ

どんな意味で?

楽しさという意味で

顕在意識レベルの嘘がはびこり

騙されている方がたくさん

見ていて気持ちのよいものではありません

顕在意識レベルで嘘をつく方が見せる優しさの形は

嘘のレベルを下げ

早く気がつきなよ

というもの

それでも気づかない方もいます

楽しいものではないですね

優しさなのに

そもそも騙そうという意図があるから

楽しくは感じられないわけです

対等に騙しあってこそ楽しめるものだから

騙される一方の方がいると楽しくない

罪悪感というものが人にはあるからですね

一方で

潜在意識レベルの嘘はとても楽しい

発覚したときの楽しさといったらないと思います

ですから

顕在意識レベルでどんなに嘘を上手につける方であっても

潜在意識レベルで嘘をついている方にはとうていかないません

楽しさという意味で

幸福という意味で

とはいっても人それぞれの幸福の感じ方がありますから

私個人の尺度での話ですが

といったことに気がつきますと

これからの日本がとても楽しみです

潜在意識レベルで嘘をついている方がいるから

騙されることをよしとしている方の潜在意識が

これからどんな作用を及ぼしてくれるのでしょう

役者が揃ったという言い方でもいいし

色とりどりの前菜が終わったところという言い方でもいいかもしれない

これからが

とても楽しみです

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