最近、そういうことかなと気づきつつあったことがあり
やはりか!というキーワードに出合ったので書きとめておきたいと思います
以前のブログで、あきらめたもう一人の子どものことを書きました
大体において、そのような
少しさびしいような気がする
という出来事は、しあわせの種になるというスタンスで生きています
さびしさを新しい行動のエネルギーに変えるのですね
それがしあわせを運んでくるという流れ
これまでの人生でもそんなことが繰り返されてきました
これからもきっとそうでしょう
しあわせの種なのです
今回の私にとっての
やりきった感のなさ
はなぜ存在していたのか
それはズバリ
孫の面倒をみる余力を残すためだったと気づきました
とはいえ私が生むわけでなし
絶対そうと思っているわけでもなく
強要する気なんてさらさらなく
そうなるかもしれないしそうでないかもしれない
でもそうなるかもしれないということに備え
今やっておくことがたくさんあるしあわせを楽しんでいこうというスタンス
子どもと同世代のある人が
以前は
結婚するかわからないし子どもも作るかもわからないと言っていたのに
結婚して子どもを作ることに意味がある
と言い出した(笑)のを見て
そうそう
人は変化するもの
私にも孫ができるかもしれないしできないかもしれない
でも望んでいるならできるわけで
そのために備えておかなくちゃ という気持ちになったのですね