タイムマシンが存在するかというお話 (1)

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私がタイムマシンというものの存在を知ったのは、ドラえもんがきっかけだったと思います

過去にとらわれて苦しいとか

こんな過去だからその延長としての未来しか思い描けないとか

過去のあの出来事のせいでできた今を受け入れられないとか

過去を理由に

今や未来を否定的にとらえる方もいるようです

え?

過去も未来も今も自分次第で変わりますよ?

と言ったら

ばかじゃないか、聞く価値もない話をするやつだな

と思われるでしょうか

それも一つの判断ですね

日々の選択のうちの一つです

さて

自分の意識、記憶(と感じられる意識)という意味で、未来同様、過去も変えられます

そして

この世界が自分の意識でできているとすれば

この世界において

過去も今も未来も変えられるということになります

自分で

そもそも、過去ってなんでしょう

ある出来事の記憶を共有する相手というものが存在しているとして

その二つの記憶は、全く同じものではないですよね

私たちがとらえる過去には、「私たち個人の視点、考え方でとらえる」という独自のフィルターがかかっているからです

一人一人が別々の過去という存在を持っているというイメージ

わかりやすい例でいうと

あなたと同じ境遇で育った兄弟がいたとして、その兄弟の方とあなたでは、育ってきた家庭に対する思い出が異なっているはずです

私自身も、それを経験しています

子どものころの思い出話をしたとき、妹と私で覚えている部分が異なっていることに驚いた機会は一度や二度ではありません

冷静に考えてみると当たり前なのですが、人は、「自分が覚えている過去そのもの」が「過去」として存在すると思っているため、ほかの人から見えている過去も同じものだと考えてしまいがちです

これは、友人と交わす学生時代の話でも同様でした

私が覚えていない部分を友人が覚えていて、びっくりしたり、私が覚えていることを友人が覚えていなくてびっくりしたり

その覚えていない事柄が事実かどうかなんてわかりません

だって覚えていないのだから確かめようがない

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